「裁判員裁判は「ショー」=制度反対派が批判会見-東京」
コレ。いや今更そんな目くじら立てなくてもなあ。
まあ実は俺も導入以前は大反対のスタンスではあった。一応俺は法学科卒業(別に志望してたわけではなくたまたま受かっただけ)でちょろっと齧っただけの人だけど、それでも「法律を運用する際の考え方」が一般的な道徳観とは一線を画しているということくらいは理解している。それこそ法学者によって解釈は幾通りにもなり、裁判長サマの匙加減ひとつで量刑だって(もちろんある程度だが)変わってくる。ただそれはあくまで「法律を正しく運用できる人間がその専門知識に照らし合わせた上で判断した結果」であり、法治国家のスタンスとしては極めて正しい。
導入の経緯が「重大犯罪がやたらクローズアップされ続けた」結果として「世間一般の価値観と法律を運用する上でのロジックとの間に乖離が生じ」「刑法そのものに対する不信感が増大した」である以上、「法治国家において感情論で量刑が決定されかねない」(というのも単純な考え方だとは思うけど)裁判員制度には大反対、というのが俺の立場だった。
とは言え最近は、逆にこれは「法律の知識を全く持たない人が法律を知る」機会としてはアリなんじゃないかと思ってもいる。いや言ってることは不謹慎極まりないのは承知の上で。大学で理論だけ学ぶのではなく、それこそこれ以上は望むべくもない生の現場で法律を理解し、「目には目を」的な短絡思考に陥らないよう国民全体を教育する、という意味では「ショー」になるのはある意味当然なのかも知れず。実際のところ今回の判例がどういった事件なのか詳細までは知るべくも無いが、法曹界からすれば体のいい「教材」だったのでは。と穿った見方をしてみる。
ただしこの制度によって皆が正しく法を理解するためには守秘義務の緩和が絶対条件だとは思う。ある一定の時間の経過後に情報をオープンできる、とかにならないと意味が無い。そのレベルまでこの制度がこなれた時初めてこの制度に意味が生じる、ような気がする。実現の可能性は低そうだが。
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